年が近いのにとんでもない人が身近にいるようになって、そうした人と関わっていて得た気づきのひとつに、「気づいたら、やる」があります。
忘れないよう&心がけられるようしっかりここで言語化しておこう。
気づくが、やらない とはどういうことか
これはそのままの意味で、日常の中で気が付いたけれども見て見ぬふりをする等行動におこさないことです。
気づいてできることも振り返れば当然あります。例えば、
・ゴミがおちているのに気が付いたら、それを拾ってゴミ箱に入れる。
・ゴミ箱がいっぱいになっていたら、ゴミ袋を変える
なんてところは、自分は比較的できています。
・ウォーターサーバーの水が減っていたら、水を取り替える。
・入口の靴が脱ぎ散らかして会ったら、靴をそろえる。
なんてことも、わりかしできています。
では気づくが、やらないことは何だろう。例えばこんなことがあげられます。
・社長から社員全員にプレゼントをもらった。個人的にお礼をいいに言った方がよいと気が付いた。しかしいかない。
・相手がほめてもらいたそうにしている。しかしほめない。
・日ごろ感じている感謝の気持ちをきちんと言葉で伝えたほうがよいと気が付いた。しかし言えない。
みたいなことです。
こうやって具体的に見てみると、どうにも”気づくが、できない”は相手がいる、人間がかかわっているときに生じているようです。
気づくがやらない、はなぜ起こるのか
で、”気づくがやらない”はどうして起こっているか考えてみると以下の2点あるように思います。
1つは、それをやらなくてもマイナスにならないから。
2つは、正直さに対する気恥ずかしさ。
マイナスにはならないから、やらない
まず1つ目はそのままです。やらなくてもいいなら、面倒だからやらない。
けっこう多くの人はこういう思考になるのかなと思っていて、自分もそうです。
でもって、できる人はここをやるんです。やらなくてもマイナスにはならないけれど、やればプラスになる。
1回1回は小さな量のプラスでも、気が付くたびに小さなプラスを積み上げていけば、それが着実に信頼だったり、この人いいなと思わせる何かにつながります。
度合いの違いはありますが、
・そもそも気が付かない人
・気が付くがやらない人
・気が付いてやる人
と3タイプあったら、気が付いてやる人、だけ抜きん出ます。
気が付くがやらない人は、外から見たら、そもそも気が付かない人と全く同じです。
これすごくもったいなくないでしょうか。
せっかく気が付けたのならば、小さなプラスを生むチャンスを得たわけです。それは気が付かない人には手に入らないチャンスです。これをふいにしてしまうのはもったいない、という発想に切り替えよう。
正直であることへの気恥ずかしさ
もう一つの理由も見ていきたいです。
いいなと思ったらきちんと良かったと伝えて、ありがとうと思ったらきちんと対面でありがとうと言って、元気がなさそうだと思ったらはげましてあげて、…。
そういうことってこうやって文字で起こして理性で考えると、まあやったほうが良いよな、となります。
ただこれが意外と現実ではできていない。
そこにはなんだかそういう”正直さ”に対する恥ずかしさがあるように思います。
自分はかなり顕著な方かもしれませんが、自分の心の内を相手にさらすのがかなり抵抗あります。
それでもって、世の大半の人も、本当のところはどう思っているのか隠している面も多いように思うし、きっとそれが処世術なのだと思います。
そうやって心の内を隠してたくさんの時間を過ごしていくうちに、隠すのが当たり前になって、正直であることの耐性、正直に心をぶつけあうようなやり取りへの耐性が落ちてしまっているように感じます。
それで、伝えたほうが良い、と気が付いても気恥ずかしさが勝って行動に移せない、なんてことが生じてしまっているのでしょうか。
心の内を隠せば安全なのは間違いないのだけれど、隠していては隠すなりのレベルでしか相手とは近づけない。
今は隠している人が多い世の中な気がするので、逆説的に、正直で表裏なく(思いやりは忘れずに)心の中をある程度正直にさらけ出せる人っていうのはめちゃくちゃ信頼されると思うんですよね。
このところ身近に表れたすごい人って、「これ恥ずかしいと思わないのかな?」ってこちらが思ってしまうくらい、とても正直に普段考えていることや熱い思いや、感謝の気持ちやらいろいろを言葉で表現しているんですよね。
今年はもっと正直に、それでもって気が付いたらやる人間になろう。
おわり