ブックカフェを開きたい理由と、成し遂げたいことについての覚書

10年後何していたいか、ということを考えたときに、じぶんは本業としてフリーランスで週4日ほどでそこそこの稼ぎを得、2日程度は趣味でブックカフェを経営する2足の草鞋生活を送りたいと構想しています。

ブックカフェに関しては、こんなアイデアで今のところは考えていて、こちらの記事にまとめています。

こんなブックカフェを開きたい、というアイデアメモ置き場【意見募集!】

今回は、どうしてそうしたいのか、ブックカフェを通してどんなことを成し遂げたいのかという点に関して、現在の心境をメモしておこうと思います。

 

なぜブックカフェを開きたいのか?

 

大学生の頃に自分が何をしたら満たされるのか、何を求めているのかということを良く考えたのですがに、過去を振り返って、そのモチベーションを突き詰めると、承認欲求にぶつかりました。

なぜブックカフェを開きたいのか、の問いに対する端的な答えとしては、この承認欲求を深く満たしたいからです。

 

承認欲求の深さ

承認欲求を満たす深さ、というのは何かというと、例えば、SNSでいいね!をもらうことでも承認欲求はある程度満たされますが、それで得られる満足感は浅いです。

一方で、ジャズでいいアドリブがとれて、それが聴き手の心に刺さっていいアドリブだったね、と褒められることで満たされる承認は、SNSで得られるものよりも深いです。

さらにいうと、仕事でまるっと漠然としたタスクを任されて、それに対して自分なりに頭を絞って、工夫をして、納得のいくアウトプットを出し、それが良い結果を生んだ時に満たされる承認欲求はさらに深いです。(自分の場合)

このように、承認欲求を満たす手段はたくさんあるも、それぞれで得られる満足感は異なります。

 

2種類の承認

また、承認欲求は他者から認められる、褒められることで得られるものとは別に、自分で自分を承認するといった、内側から発生するものもあります。

ちょっと厳しいかなと思えるようなことにも挑戦してみてやり遂げた時に、自分よくやった、と自分で承認することができます。

自分なりの価値観・信条を試されるような場面に遭遇し、乗り越えた時でも、自分で自分を認めることができ、ここでも深く承認欲求が満たされます。

そこに他者の承認も合わされば、とても深いものとなるでしょう。

 

お店という手段で深さを追及する

この承認欲求なるものを深く満たす手段として、自分はお店を持つことに魅力を感じています。

なぜかというと、お店は以下の要素を満たすためです。

①自分らしさ、オリジナリティを発揮する余地が大きいこと

②実現するために多くの苦労を要すること、ハードルが高いと感じていること

③自分の小さい頃からの願望と直結していること

(中学生の頃から、自分のお店を持ちたいという願望がありました。その頃はラーメンがとても好きだったので、ラーメン屋を開きたいと周囲には言っていたことを覚えています。)

また、目線を自分を内側から外側に向けたときに、自分のお店でできることがとても大きいなと感じているのも、理由の一つです。

それについて、以降書いていきます。

 

 

お店を通じて成し遂げたいことについて

 

自分のお店を起点にして、ありがとうの連鎖をうめたら素敵だなと考えています。

 

Pay it forwardの世界

「pay it forward」という映画があります。

ラスベガスに住むアルコール依存症の母と、家を出て行った家庭内暴力を振るう父との間に生まれた、少年トレバー。

中学1年生(アメリカでは7年生)になったばかりの彼は、社会科の最初の授業で、担当のシモネット先生と出会う。先生は「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」という課題を生徒たちに与える。生徒達のほとんどは、いかにも子供らしいアイディアしか提案できなかったが、トレバーは違った。彼の提案した考えは、「ペイ・フォワード」。自分が受けた善意や思いやりを、その相手に返すのではなく、別の3人に渡すというものだ。

(wikipedia)

 

Pay it forwardというのは、以下のような考え方です

自分が3人に対して援助を行う。その際、自分に対する見返りは求めず、また別の3人に援助をするよう要請する。

→援助を受けた3人が、各々また別の3人に対して援助をする。その際見返りは求めず別の3人を援助するよう要請する

→以下繰り返し・・・

こうして、援助(贈り物)を自分に帰ってくるのでなく先に送ってもらうようにすることで、たった1人の3人に対する援助が、無限の数の人々を助けることにつながり、社会が良くなるのではないかという考え方です。

とてもいい考え方だなと感動して、こんな風にじぶんが世の中に働きかけできたら素敵だなと感じました。

しかし、これはフィクションなので実現しましたが、現実で行うには2点問題があるように思います。

 

①援助のパラドクスの問題

援助をして、その恩を確実に送ってもらうためには、強い反対贈与の義務感を植え付ける必要があります。

例えば、グループ課題でチョコを1つ分けてあげた、といった程度の軽い贈与であれば、もらったから他の人に絶対にこの恩を送らなければ、とまで思わすことは出来ないでしょう。

現に、映画の中でトレバーが行った援助は、ホームレスに一時的な衣食住を与えて自立させることであったり、アル中で夫が出ていった母親に新しい相手を見つける、等そんな気楽にできるような援助ではなく、ある種人生を救われたとも言えるくらいの大きなものでした。

人生を救われた、レベルでの援助を受けるのであれば、それに対して強烈な恩が生じます。であるからにして、またべつの3人に恩を送る行為は、義務といえるくらい強い動機付けがされるように思います。

 

山泰幸さんの「だれが幸運をつかむのか ー昔話に描かれた『贈与』の秘密」という本では、昔話を例に挙げて、救済と言えるレベルの贈与は、相手を助けると同時に、反対贈与の負債を負わせる点で相手を苦しめることになると指摘します。

「笠地蔵」では、「感謝」としての「救済」、反対贈与として振る舞う贈与として、爺の笠の贈与が行われていました。爺の行為は、いくつもの意味において、純粋な気持ちの贈与ということができます。「救済」という贈与は、「鶴女房」において、捕まった鶴を放すという行為にも見られました。この場合の「救済」の贈与は、「笠地蔵」とは異なり、「救済してあげる」という意味での贈与なのです。実際、若者のおかげで、命を助けられることになります。命を助けられるという贈与は、これを受けた者に、強烈な感謝の気持ちを引き起こすだけでなく、とてつもなく大きな負い目を与えることにもなります。鶴は、「感謝」の気持ちと重なった「負債」を返すために、過剰な反対贈与を行ったのです。これは、「献身」と呼ぶことができます。

ここから考えると、「救済」という贈与は、非常にやっかいな贈与ということができます。相手を助けることが、相手を苦しめることにもなるからです。これは「救済」に限らず、「援助」という行為がそもそも抱え持っている矛盾といってよいでしょう。ここでは、これを「援助のパラドックス」と呼びたいと思います。

 

 

②利己スイッチがONになっている人々の存在

人間には利他心と同時に、利己心もあります。

利己心の強い人に対して、贈与を行ったところで、その人は「ラッキー、得した」程度にしか受け止めてくれないかもしれません。

これが生じた瞬間に、pay it forwardの枝が一つ切れてしまいます。

 

映画では救済レベルの援助を行うことで、利己心の強い人間ですら利他心に切り替えることに成功しました。

が、救済レベルの援助はなかなか実行しようにもできるものではないし、またそれが相手に負債を負わせる点でよいものかどうかという疑問も残ります。

とはいえ、利己的になっている人を利他的に変える働きかけが贈与なのだ、ということだということがキーなようにも思います。

どれくらいのレベルの贈与が、相手の利他スイッチをONにする効果があるのかというところはよく考えないといけないです。

 

ということで、まんまpay it forwardの世界は実現できないと考えますが、これと似た考えで、世の中に働きかけできたらいいなと思っています。

 

自分のお店を起点として、ありがとうの流れを生む

いうてpay it forwardまんまで、お店に限らずできることでもあるように思うのですが、

「お客さんの期待値を上回るサービスを提供することで、健全な負債感を生み、それをお店以外の場所で還元してもらう」

という考え方です。

ライトな贈与とゆるい負債感

お店に来るお客さんは、お店に対して無意識に期待値を持っています。

初めて入るけれど、どんな雰囲気のお店だろうか、コーヒーはこだわりがあるようだけれどどれくらい美味しいだろうか、落ち着ける空間だろうか・・・

そういったことに関して、お客さんそれぞれの過去の経験から、だいたいこれくらいの心地よさが得られるだろうと期待値を持ちます。

それに対して、お店側としては「ここまでやってくれるの」というレベルのサービスを提供します。すると、お客さんは期待値を上回るものを得て、人によっては「いいものを受け取ったな、お返ししたいな」という気持ちが発生します。

もし、いい気持ちになってくれたのであれば、そのいい気持ちを、誰かに親切にするであるとかといった形で社会に還元してくださいよ、というメッセージを送ります。

帰り道にゴミを拾うでもよし、コンビニのレジ横の募金箱にいくらか入れるでもよし、じいちゃんばあちゃんに席を譲るでもよし、です。

そうすると、自分のお店を起点としたありがとうの輪が広がります。

お客さんは、自分のお店からの贈り物を受け取り、ありがとうと思う。

→そのお客さんが、ありがとうの気持ちから、別の人に親切にしたり贈り物を送ることでありがとうが生まれる。

→その人が、ありがとうの気持ちから、・・・以下略

 

お店でできるサービスには限界があるし、そこで与えられる贈与は大きなものではないですが、それは受け取ったお客さんに負担を与えません。チリも積もれば山となる効果で、たくさんの人をいい気持ちにさせて送り出せば、自分の見えないところで間接的に世の中良くなっていくと信じます。

 

利己スイッチと利他スイッチの切り替え

利己スイッチとか利他スイッチとか言葉を勝手に使っていましたが、それについて補足します。

性善説、性悪説といったものがありますが、本質として善悪どっちであるかは置いておいて、人には両方の心が備わっているものでしょう。それでもって、外部からの刺激により、時にはニュートラルであったのが利己スイッチがONになったり、利他スイッチがONになったりするものだと考えます。

仮に、利己スイッチがONの状態で、こちらが贈与をした時には以下のようにありがとうの気持ちが発生せず、与えたプラスがその人で吸収されてサイクルが回りません。

これが起点となるAさん以外ニュートラルな状態であれば、きちんと廻ります

AさんがBさんに対して100の贈与を行う。

→Bさんは100のありがとうの気持ちのうち、20をAさんに返して、60をCさんに送って、残りを社会に還元する

→Cさんは ・・・

利己スイッチがONの人がいなければ、自分が1人に対していいこといただけで、たくさんの人が恩恵を受けてプラスになる、、というのは楽観的すぎるでしょうか。

 

ニュートラルな人たちだけで考えると、例えば100受け取ったらその100を周囲の人間や社会に分配する形で解消されることになります。

が、これが仮に利他スイッチがONになっている人がいれば、100受け取ったらそれを200にして分配するかもしれません。そうすると1人が起点となった贈与の働きかけがどんどん増えていって、プラスになる人が増えますね。これpay it forwardの世界です。

 

本との巡りあいを生む、という形での贈与の可能性

あくまで負担を与えないようにライトな贈与で考えていますが、本の巡り合わせにおいては、もっと大きな贈与を生める可能性があると感じています。

やはり本には強い影響力があって、人によってはこの本に私は救われた、この本に私は変えられた。そんなものがあるように思います。

もし、求めている人に、そういった本を巡り合わすことができるのであれば、それだけでも嬉しいことですし、それであなたが良い方向に変わることができ、これを巡り合わせてくれたお店のおかげだなと思ってくれれば、大きな贈与ができたことになります。

大きな贈与は利己スイッチを利他スイッチに切り替えるものだと思っていますので、こういったことがきっかけで、できるだけ世の中に一時的にでも利他スイッチがONになった人が増えるといいなと思います。

「利己スイッチON→ニュートラル」や「ニュートラル→利他スイッチON」にはどのような働きかけをすることで可能なのか、という点はもっと色々な手段があるように思うので、考えていきたいです。

 

副業、ではなく趣味でやりたい理由

売上を出すことを目的として、お店を初めてしまうと、営利追求のためにお客さんへの贈り物を諦めるシーンが出てくるように思います。

利益を出すために大人の人たちは、お酒の量は○○ml、ご飯の量は○○g、とマニュアル化してゆくのですが、本当はそういうものにとらわれないサービスをしたいんです。さっき、坂さんが〝貧乏学生だろうから、ちょっと多く入れておいたからね〟と何気なく言ってワインをサービスしてくれましたね。そんな感じに本当はしたいんです

「高坂勝,減速して自由に生きる ──ダウンシフターズ」より引用

 

ちょっと多く入れておいたからね、みたいな小さなサービスだったりがすごくお客さんを喜ばせるものなのかなと思っていて、こういうちっちゃな試みをたくさんやっていきたいです。

あくまで、自分が世の中に対して良い働きかけをすることを第一に掲げたいので、赤字でも全然問題無い、趣味として。

そのためには本業でかなり稼いでゆとりを得ないといけません。頑張ろう。

 

考えるにあたって参考になった本

さいごに、参考になった本をざっと並べておきます。もう一度読み直そう。

書評かけていないものが大半なので、これからぼちぼち書いていかないと・・・。