西加奈子『漁港の肉子ちゃん』を読みました。

西加奈子さんの『漁港の肉子ちゃん』という小説を読みました。

手に取ったきっかけは、感動できる本を探していて、同僚にお勧めされたことです。

ここ何年も涙を流していないので、めっちゃ感情を揺さぶられるような体験をしたかったのですが、残念ながら肉子ちゃんではそこまで泣けず。

しかし、ほんのり心が温まるような気持ちよい読後感を味わえる本でした。

かんたんにメモしていこうと思います。

あらすじ

北の港町。焼肉屋で働いている肉子ちゃんは、太っていてとても明るい。キクりんは、そんなお母さんが最近恥ずかしい。肉子ちゃん母娘と人々の息づかいを活き活きと描いた、勇気をくれる傑作。

幻冬舎HP

印象に残った箇所と感想

チョウチンアンコウの話

どこで感動できるのかなーとパラパラ読んでいって、キクりんが急に、「本を読んで久しぶりに泣いた」と語りだします。

その本の内容は、チョウチンアンコウの話。

チョウチンアンコウの雄は雌と比べて体も10分の一ほど、ちょうちんも持たない。
雄はただ雌が来るのを待ち、偶然雌がやってきたらどこにでもとにかく吸い付く。そしてどんなことがあっても離れない
吸い付いた雄はだんだん雌と体が一体化していく。
それから消化器官や目やもろもろ必要のないものが無くなっていく
最終的には元の体の面影はなく、一つのイボになってメスの体に張り付いているだけになる。
しかし生きている。
子孫を残すために、精巣だけ残して。
雌が卵子を海中に産み落とすとき、雄はイボとなった体を全力で使って精子を放出する

ざっくりとこんな話が続いた後、

「私はなにか感動を禁じ得ない。どういう感動かということは、うまく言えないのだけれども。」

こう言う。

正直自分はこのチョウチンアンコウのエピソードのどこに泣いたのかがわからず、若干戸惑ったのですが、最後まで読み進めると、少し理由がわかったように思えました。

というのも、キクりんは自分が望まれずに生まれた子だと思い込んでいて、それが深く心に根差して日常の行動に影響を及ぼしていることが最後のあたりで判明します。

それを踏まえて思ったのは、おそらくこのチョウチンアンコウの雄に対して、どんな生き物にも役割があって、自分が溶けていってなくなっていってしまっても、最後まで存在している意味があることをくみ取って、自分と照らし合わせて心が動いたんじゃないかなということです。

私は、イボとなった雄を、大きな体に立派な提灯を持った雌を思って泣く。彼女は深海を、悠々と泳いでゆくのだ。真っ暗な中、雄の体を溶かして。

いろんな本を読んでいると、あなたは存在しているだけで意味がある、ということがメッセージとして込められている文章に出会うことが時々あります。

そのたびに思うのが、たぶん一番心が欲しているものはこれなんだろうな、ということです。

小さい頃は、親から愛情という名の存在肯定を受けていて、それが思春期を迎えて素直に受け取れなくなり、そうすると自分の存在の肯定を他社や社会に求めるようになる。

ただし、なんだかんだ両親も、恋人も、友人も、社会も、自分のことを無条件で肯定してくれることはない。

友人が友人として付き合ってくれるのは、そういう風に見えにくくなっているけれど、自分がその友人にとって一時的に何かしらのメリットを提供しているからだし、社会なんて「で、君は何ができるの?」とそれが露骨です。

自分が何かしらの価値を外部に提供できる限りでは、自分の存在は肯定されるけれども、果たして価値を提供できなくなったら、、。

そういう条件付きの存在肯定を受ける中で、なんとか自尊心を保てていますが、本当は、「別に価値を提供できなくたって、ひたすらお荷物で役に立っていなくたって、それでも君は生きてていいんだよ」、みたいに無条件に存在肯定してくれたらどんなに嬉しいことかと思います。

きっとそれが愛情というもので、だから愛をテーマにした物語とかって人の心に訴えるものがあるんじゃないかと思うんです。

肉子ちゃんに惹かれる

肉子ちゃん、客観的に見るととても恵まれていない女性なのですが、持ち前の鈍感さで底抜けに明るく、純粋です。

結構、肉子ちゃんの描写はひどいです。例えば、、

肉子ちゃんは、生まれながらにして『肉子』であったような佇まいをしている。(・・・)

肉子ちゃんって本当にセンスがないのだ。そしてその、センスのなさは、言語に限ったことではない。

例えば、今日の肉子ちゃんの恰好は、こんなだ。

ぶかぶかのTシャツには、ベティちゃんのパクリみたいな女の絵。蛍光っぽいダイダイ柄のパーカーをはおって、ジーンズの『模様』が描かれたスパッツをはいている。

(・・・)

この、前髪を降ろす作業が、本当にうっとうしいのだ。

一度ひっつめて結んでから、くしでわざわざ、2,3本を垂らす。串を通している肉子ちゃんは、ぶふん、ぶふん、と鼻息荒く、洗面所をつかの間占領してしまう。肉子ちゃんなりに、最適な量があるみたいだ。でも、少しだけ垂れていて、挙句、虫の触覚みたいにぴよんとまかれている前髪の効用が、私には、まったくわからない。

これ、キクりんから見た肉子ちゃんの描写なのですが、なかなか毒舌です。

しかも容姿が絶望的なのに加えて、男運まで最悪なのが、不幸を通り越して笑えて来るところ。

自分がそんな境遇だったら間違いなく自己肯定感めっちゃ低くて、ネガティブな自己対話を繰り返すつらい毎日をおくるだろうですが、肉子ちゃんがすごいのはそれで他人と比較して自分を卑下したり、ひねくれたりしないで、ひたすらに純粋で明るいところです。

キクりんがこんな風に観察しています。

相手が自分のことをどう思うのか、どうな封に接すれば空気が変に震えないのか、とかそういうことを全然考えられない。こんにちは、をきちんと言わないままに、ずけずけと人のテリトリーに入ってゆく。
空気を読む、とか立ち位置を確認する、とかそういうことが肉子ちゃんの頭の中には無いのだろう。

これができるのはただ肉子ちゃんが鈍感だからなのでしょうが、この鈍感さは素敵だなと思います。

高校に上がってから、人と接するときに裏表を使い分けて、打算的に話をする人が(自分含めて)多くなったように感じました。

もちろんそうしなければ社会で生きていけないという側面はあるものの、相手の本音がわからないし、表面的なつきあいの人間関係の中で、自分の本音を出せず苦しむ、なんてマイナス面もあるように思います。

肉子ちゃん見ていると、人間というよりは(いい意味で)動物だなって感じます。

たぶん理性的な側面が強い人間よりも、鈍感で感情の赴くままに反応できる動物としての人間の側面が強いほうが、人と心を通じ合わせられて幸せなんだろうなと思ったりします。

おわり

というわけで、漁港の肉子ちゃん。

肉子ちゃんとキクりんが通じ合うシーンはじーんとしますし、学校の女子の人間関係の描写がやけにリアルだったり、子供のもとを去る母親の心理はこんななのか、と考えさせられたり、密度の濃い小説でした。

興味をもったらぜひ手に取ってみてください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。