お金=幸福なのか?年収2000万プレーヤーにどうしてそんなにお金が欲しいのか聞いてみた。

お金だけが幸福じゃないというのは、世間一般で言われていることだし、そうなんだろうなと思うのですが、

世間には激務で大変そうな仕事をして超高額年収を稼いでいる人もいます。

保険証券不動産の営業なんてのはその最たる例。

今回はとある年収2000万プレーヤーの方とお話する機会があったので、どうしてそんなに稼ぎたいのか聞いてみました。

 

衣食住に困らず贅沢もできるのにもっとお金がほしいのはなぜ?

前から思っていたのですが、年収1000万くらいになってしまったらもう衣食住には困らずかなりの贅沢もできるわけです。

その状態で、更にもう1000万、もう2000万と貪欲に金を欲するのはどうしてなのでしょうか。

聞いてみたところ、その答えとしては

「給与が上がると、その給与に見合った生活水準に上がるので、お金が足りないことに変わりはない」

だそうです。

年収が200万だったら、年収200万なりの生活をしていて、そのときには年収500万でできる生活に憧れを持つ。

しかし、いざ年収500万に到達すると、はじめの頃は以前憧れていた生活をできることに満足感をもつものの、次第にその水準の生活に慣れる。

そうするとまたもう少し上の水準の生活に憧れが出てきて、もっとお金が欲しくなる。

それは年収1000万になったところで変わらないと。

 

なるほど、これは納得感があります。

生活水準があがったって、人はそれに慣れてしまうし、もっと水準の高い人と比較してしまう。

これ、まさに最近読んだ順応仮説と相対所得仮説のはなしだな、って思いました。

 

イースタリンパラドクスと順応仮説、相対所得仮説

 

時系列で幸福度とGDPを眺めたときに、GDPが大きく向上しているのに(=人々の生活水準は向上しているのに)幸福感はあまり変わらないどころかむしろ下がっている、といったデータがあります。

(詳しくは「幸福度に関する研究会報告-幸福度指標試案-」のp.4を御覧ください。

http://www5.cao.go.jp/keizai2/koufukudo/pdf/koufukudosian_sono1.pdf

それは「幸福のパラドクス」とか、発見者の名前をとって「イースタリン・パラドクス」なんて呼ばれている現象です。

日本だけでなく先進諸国で皆見られているそう。

これは経済学的には「順応仮説」と「相対所得仮説」で大部分が説明できる、という見解がなされています。

順応仮説というのは、ヒトは生活水準が上がれば喜ぶし、下がれば悲しむけれども、それは一時的なもので時間がたつとそのことを当たり前と思ってしまうよ、という仮説です。

昔はマンションの5Fにある自分の部屋へ行くのに、がんばって歩いて階段を何階分も登っていました。

ある日エレベーターがマンションに搭載されて、便利になったことに住民は大喜び。

しかし数ヶ月もしたらエレベーターのある生活が当たり前になって、それがあることで特別幸福な気持ちになったりすることはなくなってします。

なんて例で考えてみたらしっくり来ます。

 

相対所得仮説というのは、絶対的な所得水準で幸福度が決まるのではなく、周囲と比較して、相対的に見て自分の所得水準を見ることで幸福度が高まるのだ、という仮説です。

「おれは今年の頑張りが上司に認められて、給与が月1万円上がった。

これで念願の毎月焼き肉食べ放題が実現できる。」

でもなんだか素直に喜べない気持ちがあります。

何が引っかかっているか心を見つめてみると、同期で月2万の昇給を果たしたやつがいたことでした。

みたいな感じでしょうか。

単純に自分のことだけを見たら、1万円も月に使えるお金が増えて、焼き肉食べ放題に月1回行ける余裕ができて嬉しいはずです。

でも、同じ時期に同期でもっと昇給しているやつがいる、という事実が素直に喜ぶ気持ちを押さえつけてしまっています。

 

相対所得は、絶対所得の影響の2倍以上の強さをもっており、所得の影響の60%は状況に順応することで消滅してしまうそう。

 

(連合総研レポートNo.274の内容に依拠しています。興味ある人はここからダウンロードできます

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9676237?tocOpened=1

 

がむしゃらにお金かせぐよりも、人と比較しないことが大事なのか

お金が増えても、慣れと比較で幸福度への影響が少ないのであれば、注視すべきはお金を増やすことよりも、いかに他人と比較しないマインドを持つか、といった部分なのでしょうかね。

そういえば最近読んだ上京物語という本でも似たようなことをいっていたな。

実際に今の日本人の多くは、世界で類を見ないほど裕福な生活をしている。にもかかわらず幸福を感じることができないのは、まわりの人と比べることで幸せかどうかを決めているからだ。自分のまわりに自分よりもたくさん持っている人をわざわざ見つけてはうらやましがるからなんだ。

(上京物語 より)

他人が車を持っていればうらやましくなり、自分もそれを手に入れるのが幸せだと思う。ところがそれを手に入れたときには、まわりには家を買ったり、自分で会社を興したりする人が出始める。それをうらやましいと思い、また無理をして手に入れようとする。そのくり返しだ。車や家だけでなく、洋服や娯楽などあらゆるものにおいて、とにかく他の人よりも多くを持っているほうが幸せな気がして、そうなろうとする。その結果、疲れ果て、無気力になっていく。物語の中だけではない。これは多くの人の人生そのものなんだ。

(上京物語 より)

ちなみにこの本では、自分なりの幸福の基準を持ちましょう、なんて結論になっていました。

 

とはいえ幸福は金じゃないよ、人と比較しない心が大事なんだよ、というのはわかりますが、衣食住に満ち足りて、ちょこちょこ贅沢できて生活に困らないくらいの収入があってはじめて言えることなようにも思います。

その収入にまで届いていないのなら、当面は仕事がんばって昇給しないと。

そのために自分がどんなライフスタイルを送りたいのか決め、そのライフスタイルを実現するためにはどれくらいの収入が必要なのかを見極めることが大事に思います。

お金があるから幸福だ、というのでなくそもそもお金は自分の求めるライフスタイルを実現するための手段であることを忘れないよう心がけて生活しよう。

 

 

おわり