寄り道のできる心の余裕が欲しいと思った話

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この間の休日のことですが、何して過ごそうかと、自転車を乗っていたときに考えたことを書いていこうと思います。

先日の出来事

休日で暇ができました。

だいたい休日やることのないときは、図書館に行くか、カフェに本を読みに行くか、近所の公園に散歩しに行くか、なりしています。

しかし先日はいつもの場所にいっていつものように時間を使う気にもなれなかったので、今まで行ったことのない方面にチャリで行ってみようと思い立ちました。

自宅の北側の方には実はあまり行ったことがなかったので。

チャリで少し進むと、既知領域を抜けました。

するとすぐに不安がこみ上げてきます。

「こっちにいってもずっと住宅地で何も楽しくないんじゃないか?」(公園とか商店街とかを期待していました。)

「これって時間の無駄じゃないかな?」

ポケットに手をつっこみスマホを取り出します。

Google Mapをさっと開き、現在地周辺の地図を確認。

なるほど、思ったとおりしばらく住宅地が続いていて、(少なくとも想定していた時間で行ける範囲には)公園とか、お寺とか商店街とかはなさそうでした。

引き返して、やっぱりいつも通り図書館へ行くことにしました。

どこかひっかかりを感じる

ただ時間の無駄にならなくてよかったね、という話にしてもいい気もするのですが、どこかひっかかりを感じました。

ちょうど、座禅体験で「無要の要」という説法を聞いたからかもしれません。

「これって時間の無駄じゃないかな」

の部分です。

グーグルマップを見て、この先にはしばらく住宅地が続くようだから何も得るものはないだろう、と判断して時間を無駄にしたくない気持ちで引き返しました。

自分が先日自転車を引き返したのは、

効率的に過ごしたい、無駄をしたくない、損をしたくない、

といった精神が体に染み付いているからであるように思います。

ただ、もしかしたら、引き返さずに進んだその先で何かしらの心を揺さぶるような発見があったり出会いがあったりしたかもしれません。

そういったものが自分の世界を広げて、人生を豊かにしてくれるものであるように感じます。

リコメンデーションやターゲティングについて

考えていてふっと頭に浮かんだのが、リコメンデーションのことです。

ニュースのキュレーションサービスとか、ECサイトのレコメンドとか、あなたの閲覧履歴からこういうのが見たいんじゃないですか?、こういうのがおすすめですよ、と教えてくれるサービスがあります。

また、その他の広告についてですが、

とあるデジタル広告会社さんの説明会を聞きに行ったときに、

ウェブサイトに出てくる広告は今はまだ精度がそこまで高くないんだけれど、これから技術も発達していく中で、かなり正確に個人個人に最適なものを出せるようになるよ

といった趣旨の話を聞きました。

もちろんそれにより広告の不快感がなくなったり、あれこれ探さずとも欲しい情報が手に入ったり、といいことはたくさんあるとは思います。

しかし一方で、リコメンドやターゲティングの精度が上がるにつれて、より今までの自分の趣向の枠内の情報にばかり接するようになっていくように感じます。

そうすると、自分の枠の外の情報(=自分の人生を豊かにしてくれるもの?)については、今まで以上に積極的に探す姿勢が必要になってくるのでしょうか。

チャリの話に戻りますが、

効率効率~と生きるのは、社会の要請に答える意味では必要なことだと思いますが、なんだか生き急いでいるようにも感じます。

仕事や学校のある平日は仕方なくとも、せめて休日くらいは(人生の)寄り道のできる余裕を持ちたいなと思いました。

おわり

「イケてるベンチャー社長の集まりで座禅体験会があって、それ以来座禅にはまっているのだよ」、というお話を社長に聞きました。 もともと仏教...

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