意識や心はどのようにして生まれたのか。「つながりの進化生物学」

岡ノ谷さんの本「つながりの進化生物学」で自分がこれは面白い!と思った部分をメモしようと思います。

「意識はどのようにして生まれたのか」。心の起源についての興味深い仮説です。

 

意識という概念の不安定さ

 

私たちは、自分に意識があると直感的に思いますし、身の回りの家族や、友人や、すれ違った他人にだってみな意識というものがあると考えて生活しています。

しかし、他人に意識があることを疑ってみると、意外と反論できないものです。

 

岡ノ谷さんは、学生に

「宇宙人がやってきて、「あなた以外はみんなロボットだ」と言われて否定できますか?」

と問います。

映画「トゥルーマン・ショー」では、主人公は普通に幸せな生活を送る中で、ときどき周りの人が何か隠し事をしているような、知らないところで打ち合わせをしているような違和感を感じています。

その違和感の原因は、実は主人公以外は全員役者で、主人公の人生がお茶の間に放送されていたからでした!

 

自分がトゥルーマンでないことを証明することはできるでしょうか?周りの人は自分の意識で行動を選択しているのではなく、ただ台本に従って、プログラムされたとおりに動いている、その可能性を否定できるでしょうか。

そんなことない!と思いはするものの、他人の主観的な体験を自分が同じように体験することは不可能であり、他人の意識の存在は原理的に証明不可能だ、と岡ノ谷さんは言います。

 

一方で、自分の意識の存在は感覚的には否定できません。

こちらは主観的に体験できるものです。

仮に「自分の脳みそがどこか水槽にぷかぷか浮いていて、脳に直接電極で刺激を与えられているだけかもしれないぞ」と考えてみても、それは今見て感じている現実が幻想である可能性はいえますが、その幻想の中で考えている自分の意識は否定できません。

 

しかし、自分の意識はあると直感的にわかるもの、それに理論的な根拠があるわけではありません。(例えば脳のこの部位が意識を司る部分だ、なんてことは判明していません。)

しかも他人の意識は証明できないので、他人からみた自分の意識は存在するとはいえません。

 

ということで、(感覚には反しますが)自分の意識も存在しない可能性もの考慮に入れた上で、意識はあるのか、あるならばどのように発生したのか、という部分に進化生物学的観点から考えていきます。(と言った内容が本に書かれています。)

 

意識に適応価に関わるのか?

 

まず意識が進化論的な意味の自然淘汰で生き残ったものであるのかどうかを考えてみます。

仮に、意識が個体の生存、子孫を残すことに有利に働くのであれば、意識があることに理由がつけられます。

進化論では、ある個体がどのくらい生き残り、子孫を残すかの数値を「適応度」といい、その適応度の指標を「適応価」と言うそうです。

 

では意識は適応価に関わるのでしょうか。

意識が有利に働いているかを考えてみると、

意識があることで、合理的・計画的な行動ができたり、他人とコミュニケーションができたり、色々と生活に役に立っているように思います。

しかし、それらは意識がなくても行えることではないか、と考えることもできます。(=哲学的ゾンビ問題)

トゥルーマン・ショーの役者さんらの行動は意識的なものではありません。周囲の人はとても緻密にプログラムされて動いているだけであることは、否定できません。

もしそうであるならば、意識の有無はその人の適応価にかかわらない事になります。

 

 

前適応で生じた可能性

 

意識の有無が適応価にかかわらないと仮定すると、意識は進化論的な自然淘汰で生じたものでないことになります。

そこで、ある機能の発達が、本来の用途と異なるものである、何かの副産物として生じた可能性を考えてみます。この進化の考え方を「前適応」というそうです。

 

普段の生活では、行き当たりばったりの行動より、他人がどう思っているか、どのように考えているかを予測して自分の行動を決めるほうがうまくやっていけます。

例えば、待ち合わせをしていて、時間を5分おくれてついてしまったさいに、何も考えずに「やあ」と声をかけるよりも、相手は自分が遅刻したことで少し怒っていたり苛立っているだろうな、と予測して、その仮定のもとでかける声を選択したほうが上手く付き合っていけると思います。

 

このことから、本当に意識があるかどうかは別として、相手に意識があると仮定して、心があると仮定して行動することには適応価があると考えられます。

 

余談 心の理論

他人に心があると仮定して行動する性質は「心の理論」という名前で研究されているそうで、「サリーとアンの課題」というものが有名です。

サリーとアンという2人の女の子がいます。

サリーはおもちゃで遊んでいて、アンはそれを見ています。

サリーはお家に帰らなくてはいけない時間になったので、おもちゃをカバンに入れて帰りました。

アンはサリーがいない間に、このおもちゃをカバンから持ち出して、箱の中に入れておきました。

さて、翌日、サリーが再びやってきました。サリーはおもちゃを探すとき、カバンの中を見るか、箱の中を見るか。

(つながりの進化生物学 より)

 

答えは皆分かる通り、「カバン」です。

これに答えられるのはサリーの心の中では、ずっとカバンの中におもちゃが入っていることが私達にわかるからです。しかし、心の理論を持っていない人はこれで「箱」と答えます。

 

人間では3.4歳くらいから心の理論をもち、一部のサルにもわかるそうです。面白いですね。

 

 

心の他者起源説

 

他人に心があると仮定して行動するほうがうまくやっていけるので、他者に心を仮定する能力に適応価があり、「心の理論」は自然淘汰で進化した、と仮定します。

 

ここでミラーニューロンの存在を考えてみます。

ミラーニューロンとは、他人のある行動を見たときと、自分が同じ行動をするときと、どちらの場合も同様に活動する神経細胞です。

例えば人間の大脳皮質の内側の「島皮質」という部分には、まずさに反応するミラーニューロンがあるそうです。

このミラーニューロンは、自分がまずいものを食べたときにも、まずいものを食べた他人のかをを見るときにも活動します。

 

このミラーニューロンのおかげで、人が不味そうな顔をしている時に、食べ物が美味しくないであろうことを推測して、それを食べるのはどうしよう、と思えるようになります。

したがって、ミラーニューロンも他者の意図の理解や、他者の有益な行動の模倣ができる、と言った理由から適応価があると考えられます。

 

 

そうすると、(本当に相手に心があるかどうかは分からないが)相手に心があると仮定して人は普段活動していて、その心の理論をミラーニューロンが変換して自分の心の記述にしているのではないか、という仮説が立ちます。

他人の心を予想するシステム(心の理論)をミラーニューロンで照り返し、流用することで自分の心を予測するようになったのではないか。

そう岡ノ谷さんは書いています。

 

 

 

ミラーニューロンと心の理論の関連に関する研究が進んで、心の他者起源説が証明されれば、動物に心があるのか?なんて行った部分もその動物のミラーニューロンの有無から判断できるようになるのでしょうか。

全部は理解できませんでしたが、とても知的好奇心を刺激される内容でした。

 

読書メモおわり