先日「ゆっくり、いそげ」という本を読みました。ベンチャーキャピタリストの背景をもつ、クルミドコーヒーという小さなカフェの経営者が経済について思うことをのべた本です。とても素敵な価値観に溢れているので、一読をおすすめします!
作者について

作者は影山知明さんです。
東京大学法学部卒業後、マッキンゼー&カンパニーを経て、ベンチャーキャピタルの創業に参画。その後、株式会社フェスティナレンテとして独立。2008年、西国分寺の生家の地に多世代型シェアハウスのマージュ西国分寺を建設、その1階に「クルミドコーヒー」をオープンさせた。同店は、2013年に「食べログ」(カフェ部門)で全国1位となる。ミュージックセキュリティーズ株式会社取締役等も務める
東大、マッキンゼー、独立、とすごい経歴を経て、西国分寺にカフェを設立したおかたです。
「ゆっくり、いそげ」では、影山さんが現在の社会を主に経済の面でどのように考えているか、そしてクルミドコーヒーを通してどんなことをなしていきたいかといった思いが語られています。
今回はそのなかでも自分が感銘を受けた部分について自分の解釈で書いていきたいと思います。
消費者の相反する2つの性格

お店にくるお客さんは、2つの相反する性格を持っていると影山さんはいっています。
1つが「消費者的人格」です。
同じものを買うのなら、安ければ安いほどよい。同じ金額を払うのならば、できるだけ多くもらえるほうがよい。
コスパコスパいっている人はそのときその人の消費者的人格が表に出ているというわけですね。
客の消費者的人格を相手にすると、それはお店側にも影響を与えます。
同じ1000円を受けとるのであれば、できるだけ提供にかけるコストは下げたい。かけるコストが同じであれば、できるだけ単価をあげたい。
そうして、客と店、双方に自己の利得を最大化させるように行動選択をするメカニズムが生まれます。客と店が互いに互いを利用しあう関係です。
お店がこのように行動選択を繰り返していくと、短期的には利益が出ても、一つ一つの仕事に時間や手間をかけられなくなり、長い目で見ると(お店側の)1000円の中身が空っぽになっていくと指摘しています。
空っぽになっていくというのは、サービスやモノに込められている価値の種類がより少なくなる、という意味に自分は解釈しました。
例えば、目の前に2種類の野菜があったとします。片方は農家が心をこめて汗を流して作り上げた野菜、もう片方は機械による大量生産の野菜です。
前者には、「野菜」の価値に加えて、「農家の心のこもった」という価値が含まれているのに対して、後者は「野菜」の価値しかありません。
消費者的人格は、金銭の価値にもっとも重きをおく性格だと考えられるので、わかりにくい、見えずらい価値は正当に評価されず、モノやサービスに含まれる価値が単純化されていってしまうということだと思います。
受贈者的性格

さきにのべた消費者的性格と合わせて、人は受贈者的性格というものも持ち合わせています。
これは「ああいいものを受け取ったな、もらったもの以上のものでなんとか返したいな」という善意です。
人にとてもよくしてもらったり、支払った金額をはるかに上回るようなサービスを受けたりすると、自然とこういった感情がわきますよね。
よいものを受けとり、それにみあうと自分で思える金額を出さないと、余剰したぶん「健全な負債感」が生じます。この健全な負債感は、またお店を訪れる、とか口コミで色々な人に広める、などといったお店に帰ってくる形で解消されることもあります。
そうではなく、帰り道に路上のごみを拾う、とか、電車やバスでお年寄りに席を譲る、といったように、お店でない社会に還元されることもあります。
お店からの贈り物を受け取ったお客が、お店に、あるいは社会に別の形で贈り物を与える、そんなサイクルができます。
人は、この受贈者的性格と消費者的性格をあわせ持っていて、時と状況に合わせてどちらかに切り替わります。影山さんは、お客さんの受贈者的性格のスイッチを押して、お客さんと支援しあう関係を築けるよう、色々と取り組んでいるようです。
おわり
受贈者的性格のスイッチを入れることは、お店側からの働きだけでなく、自分の心の持ち方でも可能だと思いました。世の中に溢れる様々な形の贈り物に対してアンテナを高くはって日々過ごしていくことで、たくさん贈り物を受け取って、それだけたくさん周りに贈ることができるようになれたらいいなと思います。
100%の心で利他的になる、ことのための大きなヒントを、この本は与えてくれたように感じました。こちらもあわせて読んでいただけると嬉しいです。
http://maruo51.com/2017/08/01/altruistic/
最後まで読んでいただきありがとうございました。