「それでも人生にイエスという」を読んで考えたこと

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自分の進路を考えるときに、自分のやりたいことや、労働条件や、そういったことを基準に置くのが普通なのかなと思いますし、自分もそう考えているのですが、その前に一度考えておいたほうがよいように感じることがあります。ちょっと哲学チックになるのですが、自分が自分の人生において何を目指しているのかというところです。今回ビクトールフランクルの「それでも人生にイエスという」という本を読み、また考えさせられる部分があったのでまとめていこうと思います。

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1.まずは本の紹介

著者のフランクルさんは、あのナチスの強制収容所の体験を記した「夜と霧」で有名なフランクルさんです。「それでも人生にイエスという」は、収容所の体験を踏まえて、生きる意味とは何か、に重点を置いて書かれた本です。

第二次大戦中、ナチス強制収容所の地獄に等しい体験をした彼は、その後、人間の実存を見つめ、精神の尊厳を重視した独自の思想を展開した。本講演集は、平易な言葉でその体験と思索を語った万人向けの書であり、苦悩を抱えている人のみならず、ニヒリズムに陥っている現代人すべてにとっての救いの書である。(amazon-商品紹介

2.死刑囚の最後の晩餐の例

(※自分の解釈が多分に入っています。間違って意味をとらえているかもしれません。)

自分はそうだったのですが、(感情としての)幸福や楽しみ、喜び、そういったことがあるから人は生きていて、目指すところもそれらを得ることが根本にあるのではないかと考えていました。しかし、フランクルが言うにはそれは違っていて、例として挙げていたのが、処刑数時間前の死刑囚でした。

処刑の数時間前になると、死刑囚には何か好きなものを食べられる許可が与えられことがあるそうです。自分がその死刑囚になったと仮定して何を注文するでしょうか?フランクルいわく、そのシーンで献立を考えることは当人にとって重要でないといいます。ほんの数時間後に死体となるその体においしい食べ物を詰め込むことになんの意味があるのか、その考えは私も共感できます。

でもその考え方をとるのであれば、人生において美味しい食べ物という快は重要でないことになります。残り数時間しか生きられないという状況においておいしい食べ物という喜びや楽しみは必要でないとするならば、それは人生の本質的な部分でなく、かざりです。そうするとより多くの楽しみを得ることを目的にした人生は無意味に感じられるかもしれません。

また、喜びや楽しみは行為の帰結として生じるものであって、目的にすることがそもそも困難ということも指摘しています。

3.自分は死なないと思ってる

私はたしかに頭で考えると、「楽しみだけを求める人生は死ぬときに無意味に感じられるかもしれない」と思いますが、実際の生活の中ではおいしい食べ物をもっと食べたくて、楽しい趣味をもっと充実させたくてお金を稼ぎます。なんでそうするのか考えてみると、ある意味で自分は死なないと思っているところに原因があるように感じます。もちろん頭ではいつか人は自分も含めて死ぬことは理解していますが、今はまったく健康で明日死ぬかもしれないことに実感をもてません。

だから自分にはまだたくさん時間があってどんな無駄なことだってする時間があるし、人生において本質的な部分に向き合っていなくても後でいいやと思えます。

ただそれで止まっていてはよくなくて、せっかく気づいたのですから方向修正しなくてはいけません。

4.楽しみや喜びを目的としないのならば何を?

成功には内面的な成功と外面的な成功の2種類があります。外面的な成功とは、一般的に成功と思われている成功のことでしょうか。地位や名誉だったり、楽しみや喜びを求めるほうはこちらに入るのではないかと思います。一方で内面的な成功とは、(はたから見てどんなにかわいそうな状況であっても、)自分の生きる意味を自分で見出しそれに自信を持てている状態です。強制収容所に入れられ死んでいった方の中には、「収容所に入れられて人生の本質的なことに気が付くことができて、むしろ感謝している」なんて言っていた方もいるようです。こういった人たちは内面的な成功者といえるのでないでしょうか。

大事なのは後者の内面的な成功の方で、これを欠いた外面的な成功は意味を持たないように感じます。では自分の生きる意味を見出すにはどうしたらよいのか。

5.自己実現と承認欲求と仕事

もうフランクルさんの本の内容から離れてしまうのですが、人生の意味が欲しい、いいかえると自分が生きていること、存在していることを肯定したいという欲が、本能的な欲望を除くと根本にあるのではないかと思っています。自分の存在を自分で肯定するのが、自己実現の欲求であり、自分の存在を他人に肯定してもらうのが承認欲求になるのではないかと思います。

仕事はこれらを得る場としてとてもふさわしいように思います。(もちろんきちんとした労働環境が前提にあります。)自分の仕事を自分なりのやり方で解決し、その成果は他人から認められる、そしてそれが社会の役にたつ。その中に生きる意味を見出していくのが今の自分にはよく感じられます。

ただ、フランクルさんは出した答えのひとつは、人生の意味を私達が問うのではなく、人生が私達に何を期待しているのか耳を傾けるよう、発想を転換しないといけないということでした。正直言っていることが理解できていないので、これを理解できるようになっているころにはまた考えが変わっているんだろうと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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